大判例

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最高裁判所大法廷 昭和25年(あ)641号 判決

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人羽田吉明の弁護人下山四郎、同井上卓一の上告趣意第一点について。

元来控訴審では、特別の規定で、被告人のためにする弁論は弁護人でなければこれをすることができず且つ弁護人は、公判期日に控訴趣意書に基きその弁論をしなければならないものとされ、また、被告人は、裁判所が被告人の権利保護のため重要であると認め被告人の出頭を命ずる場合の外、公判期日に出頭することを要しないものとされている。従って控訴裁判所では必ずしも所論のように常に事実の取調に被告人を立ち合わせ被告人に弁論の機会を与えなければならないものということはできない。そして、控訴審は旧刑訴のような覆審でもないから、このことは裁判所がその取調の結果第一審判決を破棄し更らに自ら判決をする場合でも同様であるといわなければらない。もっとも、控訴審で事実の取調の一方法として証人の尋問をし、これを裁判の資料とするような場合には、憲法三七条二項の刑事被告人の権利保護のため特に被告人をこれに立ち会わせその証人を審問する機会を与えなければならないものと解するを相当とする。

本件記録によると、原審は第二回公判で本件につき事実の取調をする旨を宣し、第三回公判で公判外の書面による証拠決定に基いて証人として伊東金太郎及び小林覚治を尋問し、しかもこれら証人の供述を事実認定の資料に供したこと、並びに、右証人尋問が行われた公判には被告人が出頭しておらず且つその後においても特に被告人に対しこれら証人の供述の内容を知らせる手続を執らなかったことは所論のとおりである。しかしながら、本件では、前記公判期日における証人の取調は、もともと弁護人の申請した証人の尋問であって、各被告人にはいずれも右公判期日の召喚状が適法に送達され(記録九二六丁、九二七丁参照)且つ被告人の弁護人は同公判期日に出頭して右各証人に対しそれぞれ尋問もしていることが記録上明白であるから、被告人の前記憲法上の権利保護に充分な機会を与えたものといわなければならない。されば、原審の手続には所論の違法があるとはいえない。

なお所論の判例違反の主張は、その判例を何等具体的に示していないから上告適法の理由として採るをえない。(刑訴規則二五三条参照)

同第二点及び同第三点について。

所論に理由不備(第二点)と量刑不当(第三点)との主張であって刑訴四〇五条にあたらないからいずれも採用できない。

被告人羽田徳治郎の弁護人山下卯吉、同清原邦一の上告趣意第一点について。

本件においては、被告人選任の弁護人は所論証人の取調に立ち会って尋問をしておるのであるから憲法の保障する弁護権の行使を制限したということはできない。その余の論旨は単なる訴訟法違背の主張であって刑訴四〇五条にあたらない。いずれも採用できない。

同第二点について。

前掲被告人羽田吉明弁護人下山四郎、同井上卓一の上告趣意第一点において説示したとおりであるから所論は採用できない。

同第三点乃至第五点について。

所論は原判決の単なる訴訟手続違背(第三点)と事実誤認(第四点)と又は量刑不当(第五点)との主張であって刑訴四〇五条にあたらないからいずれも採用できない。

被告人羽田徳次郎の弁護人五井節蔵の上告趣意(同第八点を除く)について。

所論はいずれも憲法違反を主張するけれども、その実は訴訟法違背又は事実誤認(第一点乃至第一二点)或は量刑不当(第一三点)の主張に過ぎないから刑訴四〇五条にあたらない。(第一点所論検察官の意見は聴かれていること、第二点所論判決宣告期日の召喚状は被告人に送達されていること、同第六点所論原判決が恐喝として認定した事実は第一審判決が詐欺として認定した事実の一部であって所論のように無罪を言渡したものでないこと、最後に同第七点所論高橋勇に関する公訴事実は昭和二一年一一月より同二二年一〇月迄の詐欺の事実であって原判決判示第一(一)の詐欺の連続犯の一部に属するものと認められることはいずれも記録上明である。)それ故所論はいずれも採用できない。

同第八点について。

所論が採用に値しないことは前掲被告人羽田吉明弁護人下山四郎、同井上卓一の上告趣意第一点について説示した通りである。

被告人羽田徳治郎の弁護人林頼三郎の上告趣意について。

所論引用の判例は当該事実関係において、包括一罪を認めたもので連続一罪を認めたものではないから本件には適切でない。それ故所論は採用できない。

被告人羽田徳治郎の上告趣意について。

所論は原審の単なる訴訟手続違背と証拠の取捨判断とを攻撃して原判決の事実誤認を主張するものであって採るをえない。

よって刑訴四〇八条に従い主文の通り判決する。

この判決は裁判官真野毅及び同小林俊三の後記各意見を除く他の裁判官全員一致の意見である。

被告人羽田吉明の弁護人下山四郎、同井上卓一の上告趣意第一点に関する裁判官真野毅の意見は次のとおりである。

所論のごとく、「控訴審の審判については、特別の定めがある場合のほかは総則の規定の適用があることは自明であるし、又第一審の公判に関する規定が準用されることは刑訴法第四〇四条に規定するところである」というのは、毫も疑いの余地がない。しかし、所論のごとく「証人尋問の場合、それが法廷外で行われた場合と法廷内で行われた場合とを問わず、いやしくも被告人がこれに立ち会わなかったときは、被告人に証人の供述の内容を知る機会を与えたものでなければ、その供述を採って事実認定の資料に供することは許されない。このことは刑訴一五九条の規定の精神から明らかである」というのは、誤っている。刑訴一五九条は総則の規定であり第一審にも控訴審にも適用があるが、それは裁判所外、公判期日外における証人尋問に被告人等が立ち会わなかったときに、被告人等に「証人の供述の内容を知る機会を与えなければならない」という特別の手続を定めたものである。本来証人尋問は原則として、公判期日に裁判所において、裁判所によって行われ、証人の供述そのものが証拠とせられるべき筋合のものである。ただ実際の必要からして、例外として、証人尋問が公判期日外に、裁判所外において、受命裁判官又は受託裁判官によって行われ(同一五八条)、この証人の尋問の結果を記載した書面がさらに公判期日に裁判所によって書証として取調べられることになる(同三〇三条)。そして前記一五九条は、かかる変則例外的な証人尋問に立ち会わなかった被告人等を保護するために特別の手続を定めたに過ぎないものである。それ故正常な原則どおり公判期日に裁判所により証人尋問が行われその供述が証拠とされる場合には、たとい被告人が現実に公判に立ち会わなかったときでも、前記一五九条の適用はなく、従って特に「証人の供述の内容を知る機会を与えなければならない」ということはない。かように被告人が公判期日における証人尋問に立ち会わない事態は、単に控訴審においてのみ生ずるばかりではなく(同三〇九条)、第一審においても同様に生ずるわけである(同二八四条、二八五条)。多数意見はこの点に関する判断を全然遺脱している。

さらに、所論は『この証人の尋問が行われた公判には被告人は出頭していないし、又その後において被告人に対しこれら証人の供述の内容を知る機会が与えられてもいないことは……憲法三七条二項が定めた「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ」るという保障を侵したものである』と主張する。しかしながら、原審の各公判期日についてはそれぞれ被告人に召喚状が送達されており、従って被告人は当該証人尋問につき憲法三七条二項に基く刑訴一五七条(この規定は公判期日におけると否とを問わず適用があり且つ控訴審にも適用がある)の定めている立会権及び審問権を行使し得る機会はすでに与えられたものである。ただ被告人は、その機会が与えられたにかかわらず控訴審においては立会義務なきがままに(同三九〇条)、自ら公判期日に出頭せず証人尋問権を行使しなかったまでのことである。また裁判所が被告人の証人尋問を不法に妨げたような事実は記録上にもなく、また論旨も主張してはいないし、なお弁護人は該公判に出頭し証人を現に尋問している。それ故、前記違憲の主張は理由なきものである。

次に、所論は「公判期日に事実の取調を行ったとき、それを事実認定の基礎とするためには、被告人の弁論をも許さなければならない」「然るに右事実の取調が行われた公判期日には被告人は出頭していなかったし、その後においても右事実の取調について被告人に弁論の機会が与えられていない」のは公判手続に違背する違法があると主張する。そして、わたくしは控訴審においても本件のごとく証人尋問という事実の取調が行われた場合においては、被告人の基本的人権を擁護する必要上その限りにおいて、刑訴三八八条にかかわらず、被告人は同二九三条により意見を陳述することができるものと解するを相当とする。しかし、本件においては前述のように当該公判期日について被告人に召喚状は送達されており、従って被告人は事実の取調に関し意見を陳述し得る機会はすでに与えられたものである。ただ被告人はその機会が与えられたにかかわらず自ら公判期日に出頭せず意見陳述権を行使しなかったまでのことに過ぎない。それ故原審の公判手続にはこの点において違法はない。論旨はすべて採るを得ない。

被告人羽田吉明の弁護人下山四郎、同井上卓一の上告趣意第一点について、裁判官小林俊三の意見は次のごとくである。

弁護人下山四郎外一名の上告趣意第一点についての判決理由のうち、冒頭の一般的な説示の部分につき意見を述べる。

控訴審においては、被告人は常に公判期日に召喚を受け、出頭の機会を与えられなければならない。また控訴審において新しい証拠調をする場合には、被告人はこれについて常に最終の弁論をする機会を与えられなければならない。その理由は次のごとくである。

(一)(1)新刑訴法における控訴審の性格は、明らかに事後審であるが、これに添う限りにおいては、訴訟記録と原審において取調べた証拠に現れている事実に即して、さらに審査的又は補充的な事実の取調をもすることができると解しなければならない(刑訴三九三条)。すなわちこの限度において控訴審は、部分的な続審となる場合があるのである。従って控訴審は、法律審としての性格に徹することなく、法律審たる性格が強いけれども、なおその性格の中に事実審たる部分を含んでいると見なければならない。この意見において、控訴審においては、事後審と法律審とは、もちろん同義語ではないのである。(2)刑訴法は、控訴審における被告人について、特に裁判所が被告人の出頭を命ずる場合の外、公判期日に出頭すること要しないと定めているのみであって(三九〇条)、被告人が公判期日に出頭する機会を与えられなくともよいとする規定は存在しない(参照四〇九条刑訴規則二四四条二六五条)。また控訴審においては、弁護人でなければ弁論をすることができないと定められているからといって(三八八条)、直ちに、被告人は公判期日に出頭の機会を与えられないでもよいということにはならない。これを反対に解する考え方は、控訴審をもって、事後審なるが故に、法律審とするに傾くか、或は事後審なるが故に事実調特に新しい証拠調をする場合においても、被告人に対し、正規の方式による審理を必要としないという前提に立つのであろう。わが国の裁判所の現実の面からいっても、新しい控訴審の性格を右のように解し、これを観念的に貫こうとするには、これを不可分であるべき第一審を中心とし重点とする組織は、そのようには確立されていない。(3)刑事訴訟は、いうまでもなく、原告たる検察官と被訴追者たる被告人が、互いに攻撃防御の方式によって訴訟を進行してゆく仕組である。弁護人の地位は、特に控訴審においては、主として被告人に法律的智識の面を補充して、法律家である検察官と均等の力を保たせる意図をもつ被告人の補助者であって、訴訟上代理権をもちまた、ある種の固有権をもっているけれども、補助者であることには変りはない。訴訟上の利害関係を直接担い、判決に帰結した成果を一身に負うのは被告人その者であるから、控訴審においても、公判における被告人の地位を副次的存在と見るのは正しくないと考える。(4)そこで控訴審において、弁護人が控訴趣意書に基いて弁論するに止まる場合においても、被告人は法廷に出頭し、その経過を見まもり、また弁護人と連絡して、弁護人の弁論の内容を補強することは、被告人の防御方法の裏ずけであってこの関係だけからいっても、被告人は公判期日に出頭する重大な利害をもつのである。まして裁判所が事実の取調をする場合には(私は三九三条の事実の取調は単なる調査と意義を異にすると考える)、その進行の各段階において、被告人の利害はさらにより以上重大であり、防御の機会を常にもつことを必要とする。このような意味からいって、被告人は常に控訴審の公判期日に出頭する機会を与えられなければならないのである。このためになんら控訴審の性格を損うものではない。(5)第一審の公判期日においては、被告人の出頭は義務であると同時に権利の一面をもっている。しかるに控訴審においては、刑訴三九〇条本文に「被告人は公判期日に出頭することを要しない」と規定し、特定の場合の外は、被告人に出頭の義務を免除している。さすれば、被告人には、前述のような公判期日に出頭する権利の面が残ることとなるから、その機会を与えられることは、正しく被告人の権利であるといわなければならない。もし控訴審においては、特定の場合の外、被告人に、必ずしも常に、公判期日に出頭する機会を与えないでもよいという趣旨ならば、法が「出頭することを要しない」と、被告人の任意とするような消極的表現をする訳がなく、上告審のように、「公判期日に被告人を召喚することを要しない」(四〇九条)と定める筈である。また刑訴規則二四四条に、控訴審が、公判期日を指定したときは、検察官は、「速やかに被告人を控訴裁判所所在地の監獄に移さなければならない」と定めたことは、さして意味がないこととなるであろう(参照刑訴規則二六五条)。(6)控訴審において、被告人に公判期日に出頭する機会を与えるためには、現在の方式は召喚状を発するのであるが、召喚状の送達を受けた被告人が、なお公判に出頭すると否とが任意であるのは、控訴審という特定の訴訟手続において、特に出頭の義務を免除したのに過ぎない。これによって、なんら召喚状の性質効力を害するとはいえない。以上の理由により控訴審において、被告人は常に公判期日に出頭の機会を与えられなければならないのである。

(二)次に真野裁判官の控訴審における新しい証拠調と被告人の弁論の機会との関係及びこれについての本件に対する意見判断(同裁判官の意見末段)に同調する外、次のように加える。前に述べたように控訴審が事後審としての線に添う限りにおいて、詳言すれば控訴申立が理由ありや否やを調査するため必要な限りにおいて、控訴裁判所は事実の取調をする場合があり、それに従ってまた新しい証拠の取調を必要とする場合があるのである。このような新しい証拠調をする限りにおいては、控訴審は事後審の軌道における補充的事実審であり、部分的続審であるから、この限度においてはできる限り被告人を第一審における証拠調の方式の地位に置くべきであって、被告人は各種の防御方法を行うことができるものと解しなければならない。かくして、控訴審の裁判所は、原審の資料と、新しい証拠調を行ったときは、その結果とを合せた事実認定に基ずき、破棄自判をする場合もあり得るのであるから、当事者たる被告人の地位からいって、かかる新しい証拠調を行った場合には証拠調が終った後、被告人に対して、常に最終の弁論の機会をも与えなければならないのである。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 真野 毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三)

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